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2009年6月 8日 (月)
■ 暴力について
「1Q84」もそうだけれど、近年の村上春樹の長編作品は「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」「アフターダーク」と続けて、暴力に関する描写が主要なテーマになっている。
一言に「暴力」といっても、それはけちなこそ泥のようにちんけなものではない。
小さな渦巻きが巨大な竜巻へと成長し、大地を蹂躙しつくしてそしてまたどこかへと消えていく様を目の当たりにしたかのように、やるせなく、無力感に襲われるほどの圧倒的な暴力だ。
それは時に戦争であり、殺人であり、レイプである。
肉が裂け、骨が砕ける音が聞こえるような、本物の血が流れる本物の暴力である。
そして多くの場合、そこに明確な救いはない。
どうしてだろう?
オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こったのは1995年3月20日。
今から14年も前のことだ。
当時あれほど騒がれ、90年代の一つのシンボルともなったあの事件ですら風化して久しい(村上春樹が事件の被害者に対して行ったインタビューが「アンダーグラウンド」として、元信者に対して行ったインタビューが「約束された場所で」にまとめられている)。
そして秋葉原の無差別殺傷事件が発生したのが2008年6月8日。
ちょうど1年前の今日である。
負傷者の数こそ大きく違えども(そして被害者の多寡を単純に比較することはもちろんできないのだけれど)、地下鉄サリン事件の死者12人に対して、秋葉原無差別殺傷事件の死者は7人と、その半数を超えているという事実がある。
地下鉄サリン事件が、多くのメンバーを擁したカルトによって、5人もの実行犯と化学兵器を用いて引き起こされたものであることを考えると、一人の人間の手足によって実行された秋葉原の事件の異様さが(そして暴力性が)際立って見えてくる。
小説世界だけでなく、この現実の世界においてもそのような圧倒的な暴力に対処する方法は、未だ見出すことができないでいるようだ。
人々が、その集団が、そして国家が振り下ろす暴力という「形のない悪夢」に対して、僕たち個人は、コミュニティは、そして日本という国家はどのように対抗していけばよいのだろうか。
答えのないその問いに、深い物思いに沈まされる一日だった。
投稿者 yone : 2009年6月 8日 21:40