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2005年8月27日 (土)
■ 1日目: 最悪のスタート (川崎~土浦 約90km)
午前5時に目覚まし時計のアラームが鳴った。
枕元に手を伸ばしてアラームを止めカーテン越しに様子をうかがうと、既に外はすっかり明るくなっているようだ。
しかし、起き出す気力がなく再び目を閉じてしまう。
再び目が覚めたのは7時を過ぎた頃だった。
なんとか布団から這い出したものの、旅への不安や「やめておけば良かった」という後ろ向きな考えばかりが浮かんでくる。
「この旅を無かったことにするようなうまい言い訳はないだろうか?」
でも。そんなものはないってこと。
そして、そんなことをしたら自分が一番後悔するってこと。
それは自分自身が一番良く知っている。
重苦しい気分を抱えたまま、それでもなんとか体を動かして準備を始めた。
着替えや洗面道具、医薬品、工具類、行動食、飲料水用のボトル、寝袋やマット、輪行袋。
本格的なキャンプ道具は無いけれど、何日も旅をするとなると細々とした荷物がかなりの量となる。
荷物を詰め込むと、今回の旅のために用意したシートポストキャリアバッグはほぼ一杯になった。
入りきらない荷物や貴重品はリュックに入れて背負うことにする。
荷物の準備が一段落したところで、昨日のうちに買っておいたパンとアミノ酸ゼリーで朝食を摂った。
ボトルに水を詰めたり日焼け止めを塗ったりして、出発の準備が完全に整ったのは10時近くになってからだった。
キャリアに荷物を固定すると、自転車は持ち上げるのも容易ではない重さになる。
こんな状態のまま、ロードレーサーの重いギアで坂を上れるだろうか。
「いざとなれば降りて押せばいい」と思いつつも、不安は募る。
走り出す前にPHSでメールをチェックすると、OIK.と元カノから応援のメールが届いていた。
返事を書いていると、出発前の不安な気持ちが少しだけ軽くなる。
これでやっと「ここまで来たらもう走り出すしかないんだ」という踏ん切りが付いた気がした。
ドアに鍵をかけ、自転車にまたがる。
「何回ペダルを回せば目的地にたどり着けるのだろう」
そんな、希望とも不安ともつかない気持ちを抱きながら、慎重にペダルをこぎ始めた。
若干雲が多目で日差しがキツ過ぎず、走りやすい天気。
膝痛を警戒しつつ、抑え目のペースで都心に向かって北上する。
荷物のせいで自転車のバランスが変わっているため、出発早々転んでてケガをしないか緊張が続く。
都心部は交差点が多いためペースが上がらず、国道6号線の起点である日本橋に着いたときには、既に正午近くなっていた。
日本橋三丁目の交差点で国道4号線と分かれた6号線は、千葉を経由した後、茨城・福島・宮城の沿岸を通り、仙台で再び4号線と合流する。
その場所は300kmの彼方だ。
6号線を走っていくと、交通標識に「浅草寺」の文字が見えた。
「浅草寺ってなんか聞いたことあるな……」とぼんやり考えながら近づいていくと、大勢の観光客の向こうに巨大な提灯を発見。
関東に来て今年で5年目になるけれど、実際に雷門を見たのは初めて。
できればもっと近くに寄って見たかったが、偶然にもあさくさサンバカーニバルの当日だったこともあり、物凄い人出で近寄ることすらできなかった。
「そのうち電車で来よう」と思いつつ、写真だけ撮って先を急ぐことにする。
千葉に入ったところでコンビニで昼食を摂ることにした。
あまり食欲がないため、朝食に続いてパンとアミノ酸ゼリーを購入。
食事をする場所のアテがないため仕方なく店頭に座り込んで食事をしていると、次第に腹が痛くなってきた。
旅への緊張からか月曜日頃からずっと便秘が続いて困っていたのだけれど、体を動かしたことで腸が反応したらしい。
幸いにもコンビニの目の前にいたためすぐトイレに入ることができたものの、次の客に急かされたために中途半端な状態でトイレから出ることに。
市街地で比較的コンビニの数が多い場所だったこともあり、もう一度便意を催すまで待っているのも気が引けたので、とりあえず先に進んで様子を見ることにした。
しばらく腹痛もなく安心していると、6号線と16号線が交差するあたりまで来て急に腹痛が再発した。
慌ててコンビニを探すがそれらしき看板は見えない。
しかし腹痛はかなりひどく、トイレを探している余裕はほとんど無い。
しばし迷った末、目の前にあったファミレスでトイレを借りることに決め、腹痛と闘いながら店頭に自転車を止めて店に入った。
まず店員に断りを入れようと思ったのだが、僕より一歩先に入った客を案内しにいってしまい、声をかけられそうな店員が見つからない。
もう別の店員が来るのを待っている余裕が無かったため、仕方なく無断でトイレに駆け込んで用を足した。
トイレから出るとちょうどレジに店員が戻っていたので、先にトイレを借りてしまった旨を伝え、テイクアウトのメニューがないか聞いてみたところ、親切にも「そのままで結構ですよ」との返答。
かなり辛い状況だったので、ちょっとした親切がとても嬉しかった。
(フォルクス 柏店さん、ありがとうございました)
ファミレスから出て少し走ると、見覚えのある風景に出くわした。
2002年1月5日、まだ江戸川区に住んでいたころに利根川まで走ったときの記憶だ。
変わらない景色と、あの頃から変わってしまった多くのものを思い、切なさがこみ上げてくる。
写真を撮り、再び自転車にまたがって走り始めたところ、ズボン(自転車用のハーフパンツで、裾の部分をマジックテープで調整できるようになっている)の裾に違和感。
走りながら左手を伸ばして裾を直そうとすると、急にバランスを崩して左に倒れそうになった。
体勢が悪かったため、バランスを直す余裕も無くそのまま橋の欄干に接触。
転倒はしなかったものの、左腕と左手薬指を負傷してしまった。
指のケガからだいぶ出血していたが、橋の歩道部分は狭いため、渡り終えてから傷の治療をすることにしてとりあえず前進。
傷口は皮がむけた程度だったため、消毒して絆創膏を貼る。
念のために買っておいたマキロンが早速役に立った。
夕暮れも近づいた頃、交通標識に初めて「仙台」の文字が現れた。
その距離292km。
十分に注意していたつもりだった膝痛だったが、茨城に入る頃にははっきりと自覚できるほどの痛みが出てしまっていた。
少しでも痛みが減るようにペダルのこぎ方を工夫するものの、一度痛みが出てしまった以上、膝を使わないようにして安静にする以外根本的な治療法はない。
そんな状況にケガのショックが加わり、旅のあいだは誰の助けを借りることもできないんだという強い孤独感が押し寄せてきた。
腹痛・膝痛・ケガと一日目からひどい体調であるにも関わらず、ゴールはまだ500km以上も先なのだ。
そう思うと気が遠くなってくる。
「ゴールだけでなく、そこにたどり着くまでのプロセス(自転車旅行そのもの)を楽しむようにしなければ」と自分に言い聞かせるが、弱気になってしまった心をコントロールすることはひどく難しい。
夕暮れが迫る頃、野宿予定地の霞ヶ浦総合公園に到着。
昼晴れていても夜中に雨が降ることも多いし、朝露も降りるので、テントなしで野宿する場合は屋根がある場所を確保しなければならない。
公園内を自転車で回ってみると、野宿に使えそうな四阿があったので今夜の寝床にすることに決めた。
寝床の下見を終えてから近くのコンビニで夕食を購入。
相変わらず食欲がないため、おにぎりと野菜ジュースだけの食事だ。
宵闇の迫る中一人でおにぎりをかみ締めていると、再び胸を締め付けるような強い孤独と不安を感じる。
明日来た道を引き返せば自宅に戻ることができる。
これ以上先に進んでしまったら、容易にリタイヤすることさえできなくなる。
辛い。
怖い。
これ以上走りたくない。
リタイヤするかどうか、本気で迷っている自分がいる。
食事を終え、公園のトイレで洗顔と歯磨きをしてしまうともうやることがない。
やる気力もない。
持参したiPodで、勝手に今回の旅のテーマソングにしているドリカムの曲を聴いたりして時間をつぶし、周囲が暗くなり、運動や散歩のために来ていた人々がいなくなるまで待ってから、膝に湿布を貼って寝袋にもぐりこんだ。
100円ショップで買ってきたアルミシートにはほとんどクッション性がなく、硬い木のベンチの感触がそのまま伝わってくる。
日中の運動でこわばった背中の筋肉が痛い。
でも、そのまま寝るしかない。
寝袋に入ってしばらくすると、次々と若者のグループが花火をしにやってきた。
入れ替わり立ち代わり、夜中まで延々と花火や爆竹のような音が続いて眠れない。
夏休みも終わりだし花火シーズンはもう過ぎただろうと思っていたのだけれど、読みが甘かったようだ。
夜中近くなってようやくウトウトできたと思うと、今度はひどい風の音に叩き起こされた。
霞ヶ浦から吹き付ける風なのか、まるで台風でも来たかのような強風。
自転車や荷物が大丈夫か不安になるが、疲れ切った体は既に半分眠った状態になっていて起き上がることができない。
寝袋のフードの紐を締め、風上に背を向けて風に耐えていると、いつの間にか眠りに落ちていた。
投稿者 yone : 2005年8月27日 23:59