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2009年6月14日 (日)
■ 村上春樹のノーベル文学賞受賞について
去年も一時期騒ぎのあった村上春樹のノーベル文学賞受賞の可能性ですが、今作「1Q84」を出したことで受賞はもう確実になったと思っています。
早ければ今年ということもあり得ますが、「1Q84」の英訳後となる来年から再来年あたりが本命ではないでしょうか。
村上春樹の作品は、日本という舞台や文化に縛られない普遍性が海外での高い評価につながっているのだと思いますが、「アフターダーク」ほどではないにせよ「1Q84」はヤマギシ会やオウム、日本赤軍など日本固有の背景が直接的なメタファーとして用いられれているため、そのへんを理解してもらえるように翻訳するのはなかなか大変な作業になるかもしれませんが。
ところで、ノーベル賞には化学賞・物理学賞はありますが、数学賞はないということをご存じですか?
この理由には諸説あるようですが、興味のある方はWikipediaを見ていただくとして、数学の分野でノーベル賞に相当するものが何かというとそれはフィールズ賞です。
ただし、ノーベル賞が比較的年配の方に与えられるのに対して(背景としては、理論物理学や分子生物学などの分野では、理論予測が実証されるまでに時間がかかるということもあるのでしょう)、フィールズ賞は40歳以下の若手研究者が対象となっているという違いがあります。
数学の世界は、実証のために実験物理学分野の発展を待ったりする必要がないからなのでしょうが、受賞の期限が決められているということは、トップレベルの研究者にとってのプレッシャーは相当なものでしょうね。
翻って自分のことを考えてみると、40歳までの残り時間は本当にあっという間に減り続けています。
すでに人生の中間地点にあって、いったい自分は何を成し遂げることができるのだろう?
カーネギーは「道は開ける」の中で「今日一日のことだけを考え、その中で精一杯生きることが重要だ」と説いています。
進むべき方向が見えていれば日暮れまで力を振り絞って歩き続けることもできるかもしれませんが、どちらに向かえばいいのかわからない状況ではそれもままなりません。
一日中歩き回った結果、結局スタート地点に戻っていたということもあり得るわけですから。。。
そう考えると、何を人生の目標にするか決められるかどうかということが、よりよく生きられるか否かに大きく影響するのかもしれないですね。
「受賞」することができるかどうかはともかくとして、「自分自身のゴール」を定めることが僕にとって当面のテーマになりそうです。
投稿者 yone : 2009年6月14日 10:18