プロローグ


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1996年晩秋
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 僕は、20歳の誕生日を過ぎたばかりのこの時まで、ピアノというものに(文字通り)触ったことしかなかった。子供の頃にピアノを習わなかった人の多くが思うように、僕も「ピアノ弾けたらいいな」と思いつつも手が出せないままでいたのだ。そんな僕がどうして突然ピアノの練習を始めたのか。それは、友人の影響だった。
 この友人というのが絵に書いたようなむさくるしい男で、とてもピアノなんか弾けそうにないヤツだった。なにしろサークルはボート部に入っているようなヤツである。僕の中の「ピアノ」のイメージともっともかけ離れた場所にいるヤツだった。ところが、とあるいきさつから、僕はヤツが子供の頃ピアノを習っていたという事を知ってしまったのだ。

 「こんなヤツがピアノ弾けて、なんで俺は弾けないんだぁぁーーーっ!!!」

 自分でもムチャな論理だとは思うのだけど、元来負けず嫌いな性格の僕としては、なんとも耐えがたい屈辱(笑)だったのだ。

 僕は決心した。……というほどの事でもないのだが、ちゃんとピアノの練習をしてみようと思った。ヒット曲の楽譜を買ってきて適当に弾いてみる(弾けないけど)のではなくて、どうせ全然弾けないのだから、子供と同じように初歩の初歩から練習してみようと思ったのだ。
 幸いなことに知り合いの人の子供がピアノを習っていたので、頼んでもう使わなくなった本を貸してもらった。これで、恥ずかしい思いをしてバイエルを買いに行く必要がなくなったわけだ。ちなみに、このとき借りた本はバイエルではなくて「あたらしいピアノのおけいこ」という本だったけど。
 さて、楽譜が手に入ったらあとはキーボードだ。デジタルピアノなんて買う気は全然なかったので、近所の電器店に出向き、所持していたパソコンと接続できるように MIDI 端子があるキーボードを探した。どうやら、丁度届いたばかりで積まれていたキーボードだけが MIDI 端子を装備しているようだったので、店員に頼んで箱を開けて見せてもらい、そのまま購入した。値段は3万円くらいだったと思う。機種は YAMAHA の PSR-220。メーカーにも機種にも、特にこだわりはなかった(というか良く知らなかった)。
 それまで所有していた CASIO の安い(5千円くらい)キーボードは、音が悪い、音量調節が4段階しかない、鍵盤がミニ鍵でしかも4オクターブしかない、鍵盤を押す強さに関係なく音が一定……などなど、不満の塊のようなものだったので、この新しいキーボードはとても輝いて見えたのだった。(大げさな……) ろくに弾いたこともなかったくせに、文句だけは多い僕である。(笑)


 
1996年冬〜97年春
〜20番(レベル) ---- ----

 借りてきた本を弾いてみると……簡単簡単。というか簡単すぎる。いくらピアノを弾いたことがない僕でも、一番最初の方は笑ってしまうような内容だった(例えば、ドの鍵を左右の親指で交互に叩く……とか)ので、最初の方のページは飛ばしてある程度進んだところから練習し始めた。どんなすごいピアニストでも、最初はこんな練習から入るんだろうなぁと思うと、なんだか僕でも結構すごい演奏ができるようになるんじゃないかという、楽観的すぎる考えが浮かんだりした。(笑)

 
 
1997年春〜夏
20〜40番(レベル) ---- ----

 最初の頃と比べて、段々とピアノの演奏らしくなってきた。左手の分散和音を交えて、なんとなくそれらしいメロディーが弾けるようになると結構嬉しい。なにせ、それまで「両手でピアノを弾くなんて人間業じゃない」と思っていた僕だから、弾ける人なら笑ってしまうようなフレーズを弾いていても嬉しいのだ。
 しかし、この頃からピアノに対する欲求が低下し、代わりに麻雀に対する欲求が燃え盛り始めてしまった。その結果、キーボードはしばらく埃を被ったままになってしまった……。


 
1997年冬
40番〜50番 ---- ----

 「あたらしいピアノのおけいこ」もなんとか終了し、次の本「こどものバイエル 下巻」を借りてきた。「バイエル」なんて単語を使うと、それだけでピアノやってる感じがして結構気持いいなぁなんて思ったり。(^_^;
 しかし、相変わらず進行状況が悪い。まぁ、たまに思い出したように弾いているようでは上手くならないから仕方ないのだが……。やっぱり、少しずつでも毎日練習しないと駄目だなぁと思いつつ、キーボードは教科書やレポートを積んでおく場所になってしまった……。うーん。


 
1998年春〜夏
50番〜57番 1番〜2番 ----

 相変わらず歩みが遅い……。57番の曲に少し難しい場所があり、そこでひっかかったままずっと練習しない日々が続いていたのだ。
 気分転換になるかなぁと思い、昔ピアノを習っていた僕の彼女からハノンなんぞを借りてみたりもした。しかし(当たり前といえば当たり前だけど)、ハノンなんて楽しいものではなくて、2番までやって飽きてしまった。借りものだからまぁいいや……と思ってしまうせいで練習が進まないのだろうか……。
 そんなだらけた練習のせいではないだろうが、なんと借りていた「こどものバイエル」を返さなければならなくなってしまった。肝心の彼女は、知り合いにあげてしまったとか言って役に立たない。ちぇっ。こうなったら、楽器屋に行って「大人のバイエル」みたいなヤツを買ってこようか……などと考えつつ、いつまでも実行しない日々が続いてしまった。
 ああ、このまま僕のピアノに対する情熱は失われてしまうのだろうか……。ピンチである。(笑)


 
1998年夏〜秋
57番〜75番 1番〜4番 ----

 大学の研究室で、いつものようにふらふらとネットサーフィンをしていた僕は、ふとピアノ関係のページを見てみようと思い立った。考えてみれば、今まで見ようと思わなかったのが不思議だ。……それだけピアノ熱が醒めていたということだろうか。
 Yahoo の「音楽」の下から辿り、ピアノのカテゴリへ。そこで、僕は劇的な出会いをすることになった。それは「かげのホームページ」。20歳過ぎからピアノを始め、ショパンの「英雄ポロネーズ」に挑戦しようという酔狂な……もといアツい人、影山さんのページである。考えてみれば、僕がピアノを始めたのは20歳の誕生日を過ぎた晩秋の事だった。つまり、僕も「20歳過ぎてからピアノを始めた」という条件では並んでいるわけだ。そりゃ、やる気の面では格段の差があるけどね……。
 ここで、持ち前の負けず嫌いの性格が騒ぎだした。

 畜生、こんなアツい挑戦をしている男がいるというのに、俺は何をやってるんだ!!

 ……というのは嘘だけど。まぁ、ピアノに対する情熱が再燃したのは本当かな。
 とりあえず、知り合いに返してしまったバイエルを他から借りる必要がある。幸運なことに、アルバイト先に大学でピアノやってる女の子がいたので頼んでみた。最初は「あると思うけど……もしかしたら無いかも」と不安な発言をされたものの、結局数日後にはバイエルを借りることができた。それも、以前知り合いから借りていたのとまったく同じ本だった。まぁ、内容はどの本でも同じなのだろうけど、本の作りや雰囲気が今までと同じというのはなんとなくありがたかった。
 本当は1つの曲を1週間練習してから教室に行き、先生の前で弾いてOKをもらったら次の曲へ、というパターンで習うそうなのだけど、バイエルの同じ曲を1週間も練習したら絶対飽きてしまうし、バイエルが終わるまでに時間がかかり過ぎてしまう。バイエルを何年もやってられるか! (しかし、いつのまにやらピアノ始めて2年の月日が経とうとしているのだった……。しかし、今だにバイエル)
 そこで、とりあえずまともに弾けるようになるまでその曲を練習し、できたら次に進みつつ、復習としてその曲も何度か練習するというパターンにした。
 ついでに、ハノンも少し進めた。だけど、小指と薬指がさっぱり動かなくて悲しくなってくる。ちゃんと練習すれば、大人でもそれなりに動かせるようになるのだろうか……。

 さて、今の練習の黄金パターンは、指の準備運動としてハノンを一通り弾いたあと、復習として2、3曲前までの曲を何度か弾き、そして新しい曲を練習するというものになっている。中指の下に親指を通すパターンも出てきて、ますます本格的にピアノを弾いているって感じ。この調子で練習が進めばいいんだけど、なかなかそうも行かないかなぁ。はやくバイエルを終わらせて、ツェルニーに手を出したい今日このごろ。(でも、バイエルがあと30曲も残っていたりして……)





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