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2009年2月20日 (金)
■ 壁と卵 全文訳
村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチに感銘を受けたので、今更ではありますが自分で翻訳してみました。
意訳している部分などもあるので、あまり原文に忠実なものではありません。
あと、僕の英語力がないので間違っているところもあるかも。。。
お気づきの点があれば指摘していただけると嬉しいです。
なお、原文は47NEWSのものを使わせていただきました。
47NEWSの原文は村上氏の講演内容を録音からそのまま起こしたもので、HAARETZ紙のWEBサイトに掲載されている原稿とは一部異なっています。
両者の差異は村上春樹講演英文と和訳まとめ(仮) でまとめられています。
「壁と卵」
こんばんは、皆さん。今日、僕は嘘の紡ぎ手のプロ――小説家としてエルサレムにやってきました。
もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。ご存知のように政治家も嘘をつきますし、中古車のセールスマンや、肉屋、大工がそうするように、あるときは外交官や軍人も自分たちに都合の良い嘘をつくでしょう。
でも、小説家の嘘が他と違うのは、誰もそれが道義に反しているといって非難したりしないということです。それどころか、嘘が大きいほど、巧みで機知に富んでいるほど一般の人々や批評家に賞賛されるのです。なぜでしょうか?
僕の考えはこうです。巧みな嘘を語ること――言うなれば、虚構を作りあげることで真実を浮かび上がらせること――によって、小説家は真実を新たな場所に引き出してそれに光を当てるからだと。
多くの場合、真実をそのままの形で理解したり正確に描写したりすることは困難です。だからこそ、我々は真実を隠れた場所からおびき出して架空の場所へと運び、小説という形に置き換えようとするのです。しかし、そのためにはまず、我々自身の中にある真実と嘘を明確にしなければなりません。これは良い嘘を作り上げるための重要な能力です。
しかしながら、今日僕は嘘を語るつもりはありません。出来る限り正直であろうと思います。僕が嘘をつかないと約束するのは、一年のうちほんの数日しかありません。そして、今日がその日です。
本当のことを言わせてください。日本では、少なからざる人たちがエルサレム賞の受賞を辞退するように僕に忠告しました。一部の人たちは、もし僕がエルサレムを訪れたら僕の本の不買運動を起こすと警告までしました。もちろん、その理由はガザで猛威を振るっている激しい戦闘です。国連は、封鎖されたガザ地区で千人以上が死亡したと報告しています。彼らの多くは非武装の市民――子供や老人たちとのことです。
エルサレム賞受賞の知らせが届いた時から、僕はこのような時にイスラエルを訪れ、文学賞を受賞することが正しいことなのか何度も自分自身に問いかけました。僕の行動が、対立する一方を支持する印象を与えることにならないか、圧倒的な軍事力の行使を選択した国家の方針を認めることにならないか、ということを。もちろん、僕の本がボイコットされるのも見たくはありません。
しかし、熟慮の末、僕はこの場に来ることに決めました。その一つの理由は、大勢の人々が僕に「そうすべきでない」と言ったからです。たぶん多くの小説家がそうであるように、僕も人から言われたことと正反対のことをするのが好きなのです。もし、人から「そんなところに行くな」「そんなことはするな」と言われる――とりわけ警告される――と、僕は行ってみたり、やってみたりしたくなるのです。それは僕の小説家としての本能のようなものかもしれません。小説家は特殊な生き物です。僕たちは、自分の目で見、自分の手で触ったことのないものは心から信じることができないのです。
これが、僕がここにきた理由です。
僕は欠席するのではなく、ここに来ることを選びました。
目を閉じるのではなく、自分の目で確かめることを選びました。
口を閉ざすのではなく、皆さんにお話することを選んだのです。
とても個人的なメッセージをお話しするすことをお許しください。小説を書くとき、僕はいつも心に留めていることがあります。紙に書いて壁に貼っておくほどのことではありませんが――僕の心の襞には刻み込まれています。
それは、こういうことです。
「高く強固な壁があり、そしてそれにぶつかって割れてしまう卵があるなら、僕は常に卵の側に立つ」
そう。どれだけ壁が正しく、卵が間違っているとしても、僕は卵とともにあります。何が正しく、何が間違っているのかは、いつか時や歴史が決めるでしょう。しかしどのような理由であれ、壁の側に立つ小説家の作品にどんな価値があるでしょうか?
このメタファーが意味するものはなんでしょう? あるケースでは、それはとてもシンプルで明らかです。爆撃機や戦車、ロケット弾、白燐弾は高い壁であり、それらに押しつぶされ、焼かれ、撃たれる非武装の市民が卵です。これはこのメタファーが意味するものの一つです。
しかし、これが全てではありません。このメタファーにはより深い意味があります。このように考えてみてください。我々一人ひとりが、脆い殻によってそれぞれのユニークでかけがえのない魂を包まれた卵そのものなのだと。これは僕にとっての真実であり、皆さん一人ひとりにとっての真実でもあります。そして、それぞれが程度の違いはあるにせよ、みな高く強固な壁に直面しているのです。この壁は「システム」と呼ばれます。「システム」は我々を守るものだと考えられていますが、時としてそれは独自の生命を持つことがあります。そして「システム」は我々を殺し、互いに殺し合いを始めさせるのです。――冷酷に、手際よく、システマティカルに。
僕が小説を書く理由はたった一つ、個々の魂の尊厳を浮かび上がらせ、それに光を当てることです。物語の目的は、「システム」が我々の魂をからめ捕り、それを貶めることを防ぐために、警鐘を鳴らし「システム」に光を当て続けることなのです。僕は、小説家の仕事は物語――生や死、愛の物語、人々が涙を流し、恐怖し、笑い声を上げる物語――を描くことによって、個々の魂のユニークさを明らかにしようとすることなのだと心から信じています。だからこそ、我々は日々とても真剣に物語を紡ぎあげているのです。
僕の父は昨年90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折仏教の僧侶をしていました。父は京都の大学院生だったとき徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた僕は、父が朝食前に毎朝、自宅の小さな仏壇の前で長く深い祈りをささげているのを目にしたものでした。あるとき、僕がなぜそんなことをするのかと尋ねると、父は戦場で亡くなった人々のために祈っているのだと教えてくれました。父は亡くなったすべての人々のために祈っていました――「敵も味方もないのだ」と。仏壇の前で正座する父の背中を見ていると、僕は父の周りに死の影が漂っているかのように感じました。
父は亡くなりました。僕が知りえない父の記憶と共に。しかし、父の周囲に潜む死の存在は今でも僕の記憶の中に残っています。それは父から受け継いだ数少ない物事の中でもっとも大切なものです。
今日みなさんにお伝えしたいことはたった一つです。我々は、国家や民族、宗教を超えて個々の人間であり、「システム」という硬い壁に直面した脆弱な卵なのです。状況は、我々に全く勝ち目がないように見えます。壁はあまりにも高く、強固で――そしてあまりにも冷ややかです。もし我々に少しでも勝利への希望があるとすれば、それは我々自身と人々の魂の真のユニークさとかけがえのなさを信じること、そして魂を一つに結びつけることで生まれるぬくもりを信じることから生じるものでなければならないでしょう。
考えてみてください。我々はみな、形ある生きた魂を持っています。「システム」にはそんなものはありません。「システム」が我々を食い物にするようなことを許してはなりません。「システム」の暴走を許してはならないのです。「システム」が我々を生み出したのではなく、我々が「システム」を作り出したのですから。
私がお話したいことは、これが全てです。
エルサレム賞を受賞したことをとても嬉しく思います。僕の本が世界の多くの国々で読まれていることはとても嬉しいことです。イスラエルの読者のみなさんに感謝します。僕がここに来た一番の理由はみなさんの存在です。私たちが何か――とても意義のあることを――共有できたらと願っています。今日ここで、みなさんにお話しする機会を与えていただいたことに感謝します。ありがとうございました。
投稿者 yone : 2009年2月20日 18:08